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2020年、人々を最も怯えさせたのは「志村けんさんの死」だった
コロナで葬儀・大晦日・初詣も新様式
出所:鵜飼秀徳 2020年、人々を最も怯えさせたのは「志村けんさんの死」だった
(2020年12月23日 プレジデントオンライン)
新型コロナ感染の猛威が続いた2020年。人々は、行動様式の変容を余儀なくされるなど、異例ずくめの年となった。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「仏教界を取り巻く環境も、葬儀や参拝のあり方を含めて一変し、大みそかや初詣も、例年とは異なる形となりそうです。人々の警戒心の広がりは、3月29日に志村けんさんがコロナで亡くなったことがきっかけになったのではないか」と指摘する――。
「志村けんさんの死」が日本人にもたらしたインパクト
仏教界にとって、この一年は異例ずくめの年となった。
振り返ればコロナ感染症が拡大した春先、葬送の現場でも警戒感が広がっていた。とくに3月29日にコロナ感染症でタレントの志村けんさんが亡くなったことをきっかけに、寺はさまざまな仏教行事の取りやめ、儀式の規模を縮小したりする動きが加速。なかには過剰に感染症を恐れ、寺の門を閉ざす動きも。同時に、コロナ感染症によって、仏教界が潜在的に抱えていた課題が炙り出され、寺院の本来の役割が見えてきたのも事実だ。
この年末年始、特に拝観寺院は厳しい状況を迎えそうだ。
通常であれば参拝客が多く訪問し、除夜の鐘撞きや初詣に訪れる。しかし、すでに除夜の鐘や新年の参拝の中止を決めた寺院が出始めている。
多数の名刹・古刹を擁する京都の大みそかの夜は、市内のあちこちから寺の鐘の音が響いてくる。地域住民や観光客に除夜の鐘を撞かせてくれる寺院も少なくない。
だが、撞木につながる綱は不特定多数の参拝客が握ることになる。また、境内では暖を取るためのスペースが設けられ、年越し蕎麦などの振る舞いがされる。そのため、例年にはない感染症対策が求められそうだ。
大みそかの除夜の鐘も初詣も、例年通りの形ではない
京都では建仁寺や知恩院、天龍寺などで、奈良では東大寺などで一般客を入れずに、僧侶のみで鐘撞きが実施される。大阪・四天王寺や京都の真如堂、誓願寺などでは除夜の鐘の儀式そのものが中止に。12月18日現在で例年通り実施されるのは京都・清水寺、高台寺、醍醐寺などとなっている。
例年、多くの初詣客が訪れる東京の増上寺では、年末年始の混雑に対応すべく、すでにホームページ上で時間ごとの混雑予想をアップしている。大みそかから新年3日までは360度カメラを境内に設置。混雑状況をリアルタイムで配信するとともに、サーモグラフィーも設置する用意周到ぶりだ。
明治神宮に次いで初詣客が多い(例年300万人近く)成田山新勝寺(千葉県)は、予定通り行事を実施するが、ホームページ上で「#1月ずーっと初詣」とキャッチフレーズを掲載し、分散参拝を呼びかけている。
長野県随一の善光寺の場合、数え年で7年に一度のご開帳が、2021年春に実施される予定だった。前回2015年のご開帳では700万人以上が参拝に訪れた。長野の経済を支える大イベントで、この年の経済効果は1137億円(善光寺御開帳奉賛会発表)にも上る。
ご開帳を完全に中止してしまえば、県内経済に計り知れない影響を与えてしまう。検討を重ねた結果、1年延期し、2022年に実施することになった。だが、先行きは不透明である。
志村さんの兄が語った「本当は盛大に送ってあげたかった」の意味
年末年始だけではない。振り返ればこの一年を通じて、仏教界を取り巻く環境は一変した。そのきっかけをたどれば海外の宗教団体でクラスターが発生したことによる。
3月上旬、韓国で新宗教団体「新天地イエス教会」で2000人以上の感染者を出した。密集した堂内で礼拝が行われたことが原因であった。欧州に目を向ければ、教会の葬儀を通じて聖職者らが多数、感染し、死亡者を出した。司祭がウイルス感染した遺体に直接触れたりしたことが原因だった。
日本国内における葬送の現場で最初に感染者を出したのが愛媛県松山市の葬儀会場だった。4人が感染し、「宗教空間は危ない」との空気感が漂い出した。
そして3月29日、志村けんさんがコロナに感染して亡くなり、仏教界にも大きな衝撃が走った。志村さんの兄はテレビカメラの前で「本当は盛大に送ってあげたかった」などと悔しい心境を明かした。言い換えれば、コロナの感染拡大下では葬式をすること自体がはばかられることを示唆したようなものだった。弔いのあり方を巡って、仏教界は完全に萎縮してしまう。
志村さんの死後、各宗派は葬儀の取り扱いをより慎重に
各宗派は葬儀の取り扱いにた対して独自のガイドラインを作成しだす。ある宗派では次のように指示した。
「感染症拡大を防ぐ意味では、葬儀延期が望ましい。しかし、喪主側の強い要望があった場合はこれを承諾する義務もあり、小規模葬儀などのいくつかの衛生上の措置を条件に行うことになる。葬儀規模は家族葬の形とし、濃厚接触者がいる場合は出席を禁じることも重要」
葬儀だけではない。一般的な寺は檀家組織を抱え、お彼岸・お盆にはお墓参りでにぎわう。他にも年忌法要や祭事などがある。2020年のゴールデンウイークは、本来ならば帰省を兼ねて多数の法事が予定される時期だが、軒並み中止になった。
「三密」を避けるために寺の山門を閉めた拝観寺院も少なくなかった。また、法事や葬儀を自ら拒否する僧侶も出始めた。コロナは僧侶を怯えさせた。僧侶自身への感染もさることながら、寺や葬儀の場がクラスター発生源になって、批判されることを警戒したのだ。
仏教界はいつもは世間の動きと比べ、何かと後手後手に回ることが多いが、コロナ感染対策には過敏に反応している。だが、私には、「お寺さんは感染症対策に貢献して立派だ」とは正直、思えない。
本来ならば仏教者は、「覚悟をもって」遺族に寄り添わなければならない立場だ。時に葬式(死後直後の弔い)は「グリーフ(悲嘆)ケア」の要素が大きい。僧侶から見放された遺族はどうすればよいのか。
106の宗派や仏教団体が加盟する公益財団法人全日本仏教会は大和証券と共同で8月、「新型コロナウイルス感染症が仏教寺院に与える影響」を調査(有効回答数6192)。そこで、興味深い結果が出た。
「今後、寺院・僧侶に求められる役割」について、「不安な人たちに寄り添ってほしい」「コロナ禍収束を祈ってほしい」との項目で高い値を示したのだ。コロナ前の調査では、寺院や僧侶に求められることといえば、「しっかりと葬式を取り行ってほしい」「回忌法要の案内などの情報提供をしてほしい」など、供養に関する実務的な要望が強かった。
コロナ禍によって図らずも、寺院の「本来のあり方」が浮き上がってきた形になったのだ。実は全国の寺院ではこの夏のお盆を境に、お墓参りが急増している現象が起きている。小刹もしかりである。お盆と秋のお彼岸はここ10年ほどで最多の参拝者だった。
コロナで疲れた心をお墓参りやお寺の参拝を通して癒やしたい――。コロナ感染症の蔓延下とはいえ、寺は常に広く門戸を開いておかねばならない存在なのだと思った次第である。
出所:2020年、人々を最も怯えさせたのは「志村けんさんの死」だった
(2020年12月23日 プレジデントオンライン)