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西日本では”遺骨”を火葬場に残すのが常識
拾う骨が少ないので、骨壺も小さい
出所:鵜飼秀徳 西日本では”遺骨”を火葬場に残すのが常識
(2019年1月13日 プレジデントオンライン)
東日本と西日本は文化が異なる。それは食文化や言葉遣いだけでなく、葬送のしきたりにも及ぶ。僧侶(浄土宗)でジャーナリストの鵜飼秀徳氏は「東京では火葬後、すべての骨を拾いますが、私が暮らす京都では一部のみ拾骨し、残りの骨は火葬場に置いて帰る」という。なぜそこまで違うのか――。
チコちゃんに叱られて、改めて気づいた「東西分断」
正月、テレビ番組をザッピングしていると思わず、ボタンを押す指が止まった。NHKの人気教養番組「チコちゃんに叱られる」で、チコちゃんが「お雑煮の“雑”は何か?」という問いに対して「内臓の“臓”に由来する」と回答したシーンであった。
番組によれば、雑煮の歴史は室町時代にまでさかのぼるという。五穀を神に供え、そのお下がりを煮て食べていた風習が雑煮の起源だ。煮物は五臓六腑を温めてくれることから、いつしか語源が転じ、雑煮と字が当てられるようになった。
私は昨年、東京から京都にUターンしてきた。なので、東京と京都の雑煮の両方の味を知っている。東京の雑煮はすまし汁に角餅を入れるのが定番。一方の京都(関西)は白味噌に丸餅である。私は白味噌がどうも苦手なので、妻にはすまし汁の雑煮にしてもらっているが、餅は丸餅だ。東と西とでは食文化は、大きく異なる。
東と西では、文化・習俗に大きな隔たり
食だけではない。東日本と西日本の間には、文化・習俗に大きな隔たりがある。
実は東日本と西日本の境界は、あやふやだ。
例えば、気象庁の気象情報では北陸、中部、東海より東が東日本とされている。
しかし、藤岡換太郎『フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体』(講談社ブルーバックス)によれば、地質学的には日本列島は、フォッサマグナ(新潟県糸魚川市―同県高田平野付近から、静岡県静岡市清水区―神奈川県足柄平野付近のベルト状地帯)を境にして、東西がわかれるという。
フォッサマグナの西側の境界である「糸魚川静岡構造線」を境にして、東日本と西日本とを区別することもある。
この糸魚川静岡構造線の近くに設定されているのが電源周波数の境目だ。東側は50ヘルツ、西側は60ヘルツである。また、NTT東日本・西日本のすみ分けは新潟・長野・山梨・神奈川以東がNTT東である。こちらもフォッサマグナとも重なる。
石油ポリタンク 東日本は赤、西日本は青
ほかにも、フォッサマグナ近くでわかれる東西文化の違いとして、石油ポリタンクの色がそう。東日本では赤、西日本は青が多く売られている。
人をけなす言葉「バカ」「アホ」の分岐点は、東と西(あるいは名古屋の「たわけ」など)でわかれるが、こちらは朝日放送の番組の企画から生まれた書籍『全国アホバカ分布考』(松本修、太田出版)に詳しい。
地質学における東西の境界と、地域風俗の違いとの因果関係はないようにも思える。しかし、人々の暮らし(ムラ社会)は山や川、平野などの「地形」が基盤になっている。糸魚川静岡構造線の西側には日本アルプスがそびえており、山脈の東と西で習俗が分かれてしまう、という見方にはある程度、合点がいく。
糸魚川静岡構造線上にある長野県松本市に住んでいる知り合いの住職に聞いたところ、「雑煮はすまし汁に角餅」(東日本の要素)、「ポリタンクは赤」(東)、「バカ」(東)、「NTTは東日本」(東)、「周波数は60ヘルツ」(西日本の要素)という回答が返ってきた。松本は東日本の文化風土のようだ。
葬送のしきたりもフォッサマグナでわかれる
葬送のしきたりの多くもまた、フォッサマグナあたりでわかれる。
まず、葬式後の初七日から百か日法要の数え方が、東と西では異なる。たとえば東日本では死亡日を含んで7日目が初七日になる(松本もこれに該当する)。西日本の初七日の考え方は、死亡日の前日から数えて7日目となる。東日本と西日本では、法要の日が1日ずれるのである。
さらに、僧侶の世界では「袈裟(けさ)の着用」が東西で異なる。私が所属する浄土宗の場合、日常的に着用する道衣に「改良服」というものがある。
改良服につける袈裟の種類が、東日本と西日本とで異なっているのだ。東日本の僧侶の多くは輪袈裟(伝道袈裟)という輪状に折りたたんだ袈裟を用いるが、西日本の僧侶は前掛けのような袈裟「威儀細」を好んで用いる。僧侶個人の好みもあり、必ずしも東西で厳密に分かれるものではないが、私は東京生活が長かった(芝の増上寺で修行を終えた)ため、京都在住の僧侶ではあるが輪袈裟派である。
京都では「部分収骨」で残骨灰は火葬場に置いて帰る
興味深いことに、火葬のしきたりも東西で異なる。つまり火葬後の拾骨(骨上げ)の違いである。骨上げのやり方は、すべての遺骨を6寸以上の大きな骨壷に納める「全部拾骨」と、部分的に骨壷に納める「部分拾骨」(骨壷は5寸以下)とにわかれる。
全部拾骨を基本にする東京などでは不思議がられることが多いが、私が暮らす京都では骨上げの際、頭骨から胸骨、背骨、骨盤、手足のそれぞれ一部のみ拾骨し、最後に喉ボトケを拾い上げる。残りの残骨灰は火葬場に置いて帰る。
残骨灰はその後、民間の回収業者に渡ることが多い。そして貴金属(金歯・銀歯など)と骨とに分けられ、骨はその後、合祀されるのだ。そう、火葬場は貴金属の「鉱山」でもあるのだ。ちなみに京都市の火葬場では残骨灰は外部業者に渡すことはせず、独自の施設で厳重に保存されているという。
『火葬後拾骨の東と西』(日本葬送文化学会編、日本経済評論社)によれば、全部拾骨と部分拾骨の分かれ目は糸魚川静岡構造線の西側、能登半島の根幹部(石川県)から浜名湖の西側(静岡県と愛知県の県境あたり)に抜けるラインである。厳密には糸魚川静岡構造線上ではなく、構造線の西にそびえる日本アルプスを越えたラインで火葬の習俗がわかれる。
地図でいえば、富山や石川の火葬場は北部が全部拾骨、南部が部分拾骨になっている。長野では全域で全部拾骨であるのに対し、岐阜のすべての火葬場は部分拾骨である。静岡と愛知では、県境あたりにある複数の火葬場で全体拾骨と部分拾骨が混在している。
こうした習俗の違いは時に、葬送の現場で混乱を招く。東京育ちの人が大阪に引っ越し、火葬に立ち会った際に全部遺骨を持って帰れずにショックを受けたという話はしばしば聞く。
また、昨今、墓を移動する「改葬」が増えているが、たとえば全部拾骨の東京の墓や納骨堂から、部分収骨の大阪へと改葬する際、骨壷が大きすぎてカロート(納骨室)に入りきらないこともある。そうした場合、粉骨して容量を少なくするか、遺骨の大部分を合祀墓に入れることになるが、東京出身者は「全部を納骨したいのに」と、心中穏やかではなさそうである。
また、関西では納骨の際、骨壷から遺骨を出し、土に還すタイプの埋葬法をとる。つまり関西の墓のカロートは、遺骨で満杯になるようなことがない。古い先祖の遺骨を西から東へと改葬する場合、「骨」というより、「土」を移動することになる。
今後、地方から都市部への人口の流出、それに伴う改葬の増加によって、東西葬送文化の違いを巡る問題があちこちで浮上しそうである。
出所:鵜飼秀徳 西日本では”遺骨”を火葬場に残すのが常識
(2019年1月13日 プレジデントオンライン)