コラム No.036 コロナ禍で急増「Zoomお葬式」に僧侶がいい顔をしないワケ

 

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コロナ禍で急増「Zoomお葬式」に僧侶がいい顔をしないワケ

ライバルはYouTubeの「読経動画」

出所:鵜飼秀徳 コロナ禍で急増「Zoomお葬式」に僧侶がいい顔をしないワケ
(2020年5月14日 プレジデントオンライン)

新型コロナウイルス感染症の影響で、葬儀や法事をオンラインで行うケースが増えている。僧侶が読経するシーンをライブ配信し、親族らはパソコン上で手を合わせるのだ。

ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀樹氏は「最近の法事件数は9割減という寺もある。このためオンライン法要という選択肢が出てきているが、『これならYouTubeで十分』という声もある。楽観できない」という――。

コロナ禍をきっかけに「オンライン葬儀・法事」が急増

新型コロナウイルス感染症の影響によって、企業はリモートワーク体制に入っているが、その動きは仏教界へも広がりを見せている。葬式や法事をオンラインで実施する動きである。「オンライン葬儀・法事」という言葉まで生まれている。

しかし、オンライン葬儀・法事にはメリットとデメリットの両方がある。仏教界もコロナ禍をきっかけに、パラダイムシフトを迎えつつある。

私はこの2~3カ月、関西圏の葬儀会館で何度か葬式を執り行った。会場は不気味なくらいしんと静まり返っていた。会場ではマスク着用、アルコール消毒が求められ、職員の立ち合いも最小限。どこか雰囲気はピリピリしている。

いずれも家族葬だった。そもそも家族葬は身内だけの葬式が売りだが、身内の参列者すら減っている。中には参列した親族は子供2人と兄弟1人のみというケースもあった。感染予防の観点から、遠隔地に住む孫は参加できず、棺の上には孫からの手紙が置かれていた。

感染におびえながら葬式を執り行う異常事態

もっと言えばコロナウイルスに感染していようと、そうでなかろうと、多くの病院で「看取り」ができなくなっているのが現状だ。感染防止のために肉親すら、臨終に立ち会えない。看取りもできず、感染におびえながら葬式を執り行う――。この異常な事態に、遺族の中には悲しみが癒されず、苦しんでいるケースもあると聞く。

本来、葬式では不特定多数の参列者が密集することになる。3月中旬、愛媛県松山市で営まれた葬式でクラスターが発生し、にわかに仏教界や葬儀業界がざわめき出した。

同時期、世界に目を向ければスペインなどでも葬式での感染が報告され始めた。同国では、コロナが収束するまで多数が集まる葬式は禁止、火葬・埋葬も立会人3人以内という厳しい制限を設けている。

松山市や海外での事例を踏まえ、わが国の仏教教団では「葬儀の対応」を含めた緊急ガイドラインが作成されてきている。そこには、切実な内容が記されている。

「僧侶は棺に近く、積極的にマスクや手袋ができない立場にある。僧侶側の対策が確立されていない」(曹洞宗)

「人類が初めて遭遇したウイルスへの対応を考える中で、浄土宗としての葬儀式の基本さえ実現できるならば、葬儀式執行の変更は許容できる」(浄土宗)

遺体の目の前で儀式を実施する僧侶の感染リスクは高い

仮に故人がウイルスキャリアであった場合、遺体の目の前で儀式を実施する僧侶の感染リスクは高い。しかし、曹洞宗のガイドラインに書かれているように、僧侶はマスクなどをして読経をすることがはばかられる立場である。ある長野県在住の40代の浄土宗僧侶は明かす。

「私は、こうした状況でも儀式中はマスクを外すようにしています。ですが先日、コロナ感染者と接触した病院の関係者が参列した葬儀の際、ひとことお断りをさせていただいた上でマスクをさせていただきました」

マスクをしていたとしても、儀式の内容や質が変わるものではない。しかし、故人にたいする尊厳を大事にしたいとの思いで、あえてマスクを外す僧侶も多いのが現状だ。

感染予防のため僧侶も常にマスクや手袋をするのが正しいのか。逆に、宗教者たる者、動じることなく平時どおりに儀式を行うのがよいのか。どちらかに正解を見出すことはできない。

苦悩に満ちた葬送の現場ではあるが、救いがないわけではない。オンライン葬儀・法事という手段が活用され始めたのだ。つまり、儀式を、インターネット回線を使ってライブ配信する。

Zoomを利用してお葬式を「ネット中継」するサービス

実はコロナ禍以前に、オンライン法事の萌芽は見られていた。若手僧侶がさまざまな仏事を、SNSを使って中継したり、ユーチューブで配信したりする試みであった。しかし、あまり普及していなかった。荘厳な寺院空間や、儀式の臨場感、あるいは「供養した感」は生の現場に勝るものはないからである。

ところが、コロナ禍により、にわかに供養の場が機能不全に陥る。産業界でリモートワークが普及しだすと、オンライン葬儀・法事を導入するケースが急増し始めた。

オンライン葬儀・法事の仕組みはこうだ。葬儀会館や本堂に入るのは僧侶のみか、ごく限られた身内だけ。寺側か施主側のいずれかがZoomなどのオンライン会議アプリを使って中継する。遠隔地にいる親族は、パソコン上で手を合わす。

オンライン葬儀は葬儀社のオプションサービスとして取り入れるところも出てきた。たとえば、愛知県名古屋市の西田葬儀社では4月上旬から、Zoomを利用した「ネット遥拝ようはいサービス」を始めている。遥拝とは、遠隔地にいながら遠い故人や神仏に手を合わせることである。

住職が読経するシーンや焼香シーンを、施主がカメラで撮影

栃木県の浄土宗一向寺では、先月下旬の1件の法事をきっかけにして、本堂に急遽Wi‐Fi設備を整えることにしたという。この檀家は平時では、常に親族一同10数人がお寺に集まるような熱心な人々だったが、今年参加できたのは3人のみ。その際、施主からオンライン法事の提案を受けた。

「コロナで来られない親族や、海外にいる親族のために、スカイプを使ってライブ中継してもよいか」

住職が読経しているところや、焼香のシーンを、施主がカメラで撮影したという。

「ゴールデンウィークは普段ならば、子供・孫の帰省に合わせた法事が多い時期です。しかし、コロナの影響で、このところの法事件数は例年の9割減。そんな時に、僧侶仲間や今回の施主さんからオンライン法事の可能性を知りました。オンライン法事があれば万全ということはあり得ませんが、寺側は選択肢として持っておいたほうがよいと感じています」(東好章住職)

確かにオンライン葬式・法事のメリットは、コロナウイルス感染防止に寄与するだけではない。寝たきりの高齢者、足の悪い人、海外在住の親族らも法要に参加することができる。コロナ禍が収束した後も、オンライン法事は高齢化、核家族化社会の中で活用されていく可能性を秘めている。

お葬式をユーチューブの「無料読経動画」で済ませる時代が来るのか

だが、オンライン法事は今後、仏教離れを加速させることも考えられる。先にも述べたが、仏事は僧侶と参列者が同じ空間にいて、共につくり上げるものである。さらに伽藍の雰囲気や読経の臨場感が相まって、神秘性を担保する。先の長野在住の僧侶はいう。

「オンライン葬儀や法事の枠を超えて、そのうち録画配信する寺も出てくるのではないか。録画では、『遺族との思いの共有』は無理でしょう。対面での儀式を基本にしつつ、感染症の蔓延時やどうしても寺に足を運べない人に対してはオンラインで対応するということにとどめないと、宗教儀式のあり方そのものが変わってしまう危険性があります」

読者が気にするのはオンライン葬儀・法事のコスト面だろう。だが、僧侶へのお礼はそもそも定額ではない。「お布施」であるため「出す側が決める」ことになる。今のところ、「オンラインでも儀式をやってほしい」という人は、信仰や供養を大事にしている人が大多数と思われる。リアルでもオンラインでも布施の相場感への変化は、まだ見られない。

新型コロナによる外出自粛の影響で一切の葬儀取りやめとならず、オンライン法要が拡大するのであれば、寺院にとってはある意味ビジネスチャンスなのではないかという指摘をする人もいる。

だが、長野の僧侶が言うように、オンラインでの儀式のその先には、「オンライン葬儀をするのも、ユーチューブの無料読経動画で済ますのもさほど変わりない。だったら、(お布施も不要な)ユーチューブで十分」という風潮が広がっていく可能性も否めない。

こうした「ポストコロナの葬送」の牽引者は、おそらく近年の葬送の簡素化を推し進めてきた首都圏の核家族たちであろう。葬儀業界が彼らのニーズに合わせる形で家族葬や直葬を積極的に取り入れたことで歓迎された半面、結果的に業界の地盤沈下や仏教離れにつながってきた側面は無視できない。

つまりは、これまでリアルな儀式によって支えられてきた「仏・法・僧」がオンライン化によって崩壊しかねない局面にあると言える。私がこれまで指摘してきた「寺院消滅」が、より加速度を増していくかもしれない。

だからこそ、コロナ収束後、宗教空間をいかに元のリアルな儀式の場に戻していくか。その見極めと判断は難しい。私の場合、オンライン法事は依頼があれば拒む理由はないものの、基本的には「静観」の立場でいる。

出所:コロナ禍で急増「Zoomお葬式」に僧侶がいい顔をしないワケ
(2020年5月14日 プレジデントオンライン)