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「4割が年収300万円以下」お寺経営の厳しい現実
2040年までに寺社の3割は消滅する
出所:鵜飼秀徳 「4割が年収300万円以下」お寺経営の厳しい現実
(2019年9月16日 プレジデントオンライン)
日本国内には約16万の寺社があるが、その4割は20年後までに消滅すると予想されている。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「全寺院の4割は年収300万円以下で、『坊主丸儲け』はごく一部。このままでは寺社はなくなる一方だ」という。
お寺や神社の数がコンビニや郵便局の数より多いことが示す意味
コンビニ、郵便局、学校(小中高校の合計)、歯科医院、寺院、神社。
これらは全国津々浦々、ほぼ、どの地域でも見つけることができる施設だ。では、それぞれ、どれほどの数があるのか。都会人なら「コンビニか歯科医院が多い」との印象を持つかもしれないし、村落に居住の人ならば「コンビニはないけれど寺院や神社ならある」と言うかもしれない。
少ない順に並べてみよう。
最少は郵便局で2万4000。継いで学校は3万5000。コンビニは5万5000だ。歯科医院は6万9000である。意外かもしれないが、寺院は7万7000で神社は8万1000もある。16万近い伝統的宗教施設が日本のあちこちに点在しているのである。
ちなみに全国の市町村で寺がないのは、岐阜県東白川村だけ。理由は明治維新時の廃仏毀釈(※)で寺が全て壊され、再興していないためである。
(※詳細は鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』文春新書)
どこにでも存在する寺院や神社は、学校や郵便局、病院などと並ぶ「社会インフラ」と位置付けることができる。寺を「死に関するケア空間」ととらえれば、電気やガス、福祉、介護などの「ユニバーサルサービス」の概念にも近い。
しかし、少子高齢化に加えて、地方から都市への人口の流出が進むと、寺院を取り巻く環境が厳しくなってきた。
地域から人がいなくなれば、檀家で支えられている寺院は経営破綻する。いや、地域が完全消滅するよりもっと先に、寺院は消えてなくなる運命なのだ。
2040年にお寺も神社も3分の1以上が消えてなくなる可能性
2015年、日本創成会議(座長・増田寛也元岩手県知事)がレポート『地方消滅』を発表した。
2040年の段階で全国の自治体の49.8%が消滅する可能性を指摘し、社会に衝撃を与えた。この消滅可能性都市に存在する宗教施設をカウントすることで、将来的にどれくらいの寺院や神社がなくなっていくのかを占うことができそうだ。
すると、寺院はおよそ3万余りが消えてなくなる可能性があることがわかった(國學院大学・石井研士教授調べ)。神社も3万1000社が消滅する。ちなみに現時点で、空き寺は1万7000カ寺前後にも及んでいる。
ひとたび空き寺になってしまえば、いずれは野に還る。無住寺院では、伽藍(がらん)の管理が行き届かなくなるからだ。台風で屋根瓦が数枚飛んだだけで、そこから雨漏りし、いずれ朽ちて再生不可能になる。あるいは動物が入り込んで、糞(ふん)などをまき散らし、建物が使用できなくなってしまう。
日本最大の宗派、曹洞宗は1万4200カ寺のうち6000カ寺が無住に
寺院の消滅割合は各宗派によってもまちまちである。とくに消滅の程度が高いのは、山間部に立地する寺院を多く占める教団だ。
2040年における宗派別寺院消滅率は、高野山真言宗(消滅割合46%)、曹洞宗(同42%)、真言宗豊山派(同39%)、天台宗(同36%)などである。宗門の存続にも関わるほどの厳しい未来予想となっている。
特に全国に1万4200カ寺近くの寺院を抱える日本最大の宗派、曹洞宗は約6000カ寺相当が無住になる可能性がある。曹洞宗では現在、宗派を挙げて過疎地の寺院問題の検討会などを開いているが、いまのところ打つ手は見いだせていない。
「坊主丸儲け」は間違い。寺院の43%が年収300万円以下
ここで多くの人はこう思うかもしれない。「坊主丸儲けではないの?」「お坊さんは税金を払わなくてもいいのでしょ」――。
その実、全国に1万の寺を擁する浄土真宗本願寺派では全寺院のうち43%が年収300万円以下である。「坊主丸儲け」レベルが仮に年収2000万円以上とするならば、その割合は6%ほど。また年収1000万~2000万円は13%だ。寺院の格差が広がる傾向にあり、過疎地の村落の寺院では、おおかたが年収300万円以下だ。
こうした傾向は浄土真宗本願寺派だけではない。全国に1万4600カ寺を擁する日本最大の仏教宗派・曹洞宗でも同様。年間の法人(寺院)収入が300万円以下の寺院は42%、500万円以下は55%だ。
都市と地方での「布施格差」もある。たとえば東京都内に立地する寺院の場合、葬式一式の布施(戒名込み)の相場は、30万円か50万円が多い。これが山陰地方になると3万か5万円。布施相場の格差は10分の1である。地方の寺院では檀家がどんどん減っていく上に、布施の単価も低いのだ。
「税金が免除」も誤解。住職の給料は、所得税が源泉徴収されている
「お坊さんは税金が免除」というのも大きな誤解である。確かに宗教法人の収入には法人税や固定資産税などがかからないが、代表役員の住職に支払われる給料は、所得税が源泉徴収されている。
固定資産税は確かに免除されている。それを「特権」と揶揄(やゆ)する人もいるが、広大な敷地や大きな伽藍に対して固定資産税をかけることになると、都市・地方を問わず、日本のほとんどの宗教法人が消えてなくなるだろう。先述のように寺院収入に対して、課税バランスが極めて不均衡だからだ。
地方都市の困窮寺院では、現在の住職はなんとか生活できたとしても、後継者が現れない。寺の収入がアテにできなければ、地場の企業に就職すればいいじゃないか、という意見もあるが、そもそも過疎地に仕事はない。
しばしばテレビのワイドショー番組などから、「“坊主バーで寺院を再生!”という特集をやるので、コメントが欲しい」などと求められることがあるが、「申し訳ないけれど、そうした動きは気休めにすぎません。寺院再生はそれほど甘いものではないんです」と話している。
寺院の修繕には最低でも5000万円以上かかる
生活できる収入が確保できない寺院は、住職代替わりの時点で空き寺になってしまう。
また伽藍の修繕の必要性に迫られた時に、破綻を迎える寺院も多い。台風や大雪、地震での破損、シロアリなどの害虫被害、屋根瓦の老朽化など、寺院建築は少なくとも30年に一度は大規模修繕が必要になってくる。伝統的な寺院の伽藍を補修するには最低でも5000万円。億を超える修繕はざらである。伽藍の建て替えになってくると、数億の出費は免れない。
こうした修繕・建て替えの必要性に迫られた時、大勢の檀信徒を抱えていれば寄付で賄える場合もある。地域差もあるが、たとえば専業だけで寺族が食べていける檀家数の目安が300軒ほどであろう。すると、仮に補修費6000万円を集める場合、1軒当たりの負担は20万円となる。檀家が100軒しかない寺院の場合は1軒あたり60万円となる。
これが半世紀も前であれば、積極的に喜捨する檀信徒も多くいただろう。しかし、「老後の生活費が公的年金以外に2000万円必要」とされる時代である。寺院の修繕に何十万円も寄付を出せるだろうか。
昨年は台風で、伽藍が大きく破損した寺院や神社が日本全国で相次いだ。1年が経過した現在でも、その修繕費の確保に苦心しているとの話を聞く。
檀家が50軒の寺院の修繕費は7000万円、私財投じても足りず
ある京都市内の寺院は、本堂の修繕費として7000万円が必要になっている。この寺院は檀家が50軒ほどしかなく、資金が思うように集まらない。住職の貯蓄のすべてである2000万円を支出しなければならないという。また、本堂が文化財に指定されているため行政から最大1000万円ほどの助成金が出る可能性があるとしているが、それらを合わせても修繕費用の半分にも満たない。住職は途方に暮れている。
宗門も各寺院の再建を手伝うことはできない。日本の寺院はそれぞれが宗教法人格を有する独立した存在だからだ。それに、宗門はその傘下に何千カ寺という数を抱えており、個別の寺院を再建させるだけの財源がないのだ。
身も蓋(ふた)もないが、今のところ寺院や神社再建に「策なし」。しかし、「別に寺や神社がなくなっても生活に不便はない」という人もいるかもしれない。私自身、「残念ながら、寺社がなくなるのも、世の摂理なのかもしれない」と考えることもある。なぜなら、「社会に必要とされていないからこそ、寺や神社がなくなっている」と言えるからだ。
寺院や神社は、仏教界や僧侶のための所有物ではない。
死を迎える人や絶望した人への寄り添いの場であり、先祖供養を通した情操教育の場でもあり、都会の寺は憩いの場でもある。災害時には避難所にもなり得る。
寺院消滅は避けられないかもしれない。しかし、「完全消滅」を避けるためにも仏教界は公益性を自覚し、社会に広く門戸を開き、社会的機能を果たしていくことが必要だろう。
出所:鵜飼秀徳 「4割が年収300万円以下」お寺経営の厳しい現実
(2019年9月16日 プレジデントオンライン)