コラム No.004 復興後の”新しい街”に寺や神社がない理由

PRESIDENT Online

復興後の”新しい街”に寺や神社がない理由

地域が疲弊していくというジレンマ

出所:鵜飼秀徳 復興後の”新しい街”に寺や神社がない理由
(2019年3月13日 プレジデントオンライン)

東日本大震災で被害を受けた東北4県の寺院は3199、神社は5856にのぼる。だが宗教施設は公的支援の対象外のため、復興後の新しい街には寺や神社がない。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「寺や神社は社会資本のひとつ。宗教施設がなければ、復興は遠のく」と訴える――。

東日本大震災で被災した東北4県の寺院3199、神社5856

東日本大震災から8年が経過した。この時期、震災がらみの報道が目立つが、年を経るごとに、人々の関心は薄れていく傾向にある。震災の記憶の風化が懸念される。

とりわけ、あまり報じられることがないのが、被災地における宗教施設(寺院、神社)のことだ。震災後、既存仏教などは弔いなどの宗教活動や被災地への支援を実施し、一定の社会的役割を果たした。被災地の地域コミュニティを取り戻すうえで、寺院や神社が果たす役割は決して、小さくない。ここでは、災害被災地における寺院の現状と役割を見ていきたい。

まず、東日本大震災における宗教施設の被災状況を紹介しよう。2016年3月4日付の宗教専門紙中外日報は、東日本大震災における被災寺院・神社数を報じている。

それによると、流失、全壊・半壊・一部損壊などの被害を受けた寺院(大手10教団のみ)は3199カ寺にも及ぶ。ちなみに青森、岩手、宮城、福島の4県の寺院数は3587カ寺(文化庁「宗教年鑑」)である。

特に東北は曹洞宗寺院が多いことで知られ、45カ寺が全壊している。東日本大震災における被災の範囲は関東、北海道まで含まれるから正確な被災寺院割合をはじき出すことは難しいが、おそらく、東北4県に限れば、大方の寺院が何らかの被害を受けた可能性が高い。

また、神社に目を転じれば、神社本庁所属の神社は4385社が被災した。東北4県の神社数は5856社。神社の被災数も、衝撃的な数字である。

大型の鳥居の本格修繕費用は、軽く1000万円超

ちなみに2015年の熊本地震では995カ寺(全日本仏教会調べ、熊本県の寺院数1174カ寺)が被災している。熊本地震では国の重要文化財である阿蘇神社の拝殿・楼門が倒壊した映像を見て、衝撃を受けた人も少なくないだろう。神社の場合、とくに鳥居は安定感が悪く、倒壊の危険性が高い。しかも、高さ5m超の大型の鳥居の本格修繕となれば費用は、1000万円は軽く超えてしまう額になるだろう。

自然災害に際し、寺社は意外にもろいものだ。その理由は、建築物の規模が大きい割に、耐震補強や定期的な点検、修繕がおろそかになっていることが挙げられる。江戸時代以前に建設されたまま、ほとんど手が入れられていないという歴史的建造物も少なくない。

そうした寺社建築は瓦1枚外れただけで、それを放置すると命取りになる。雨漏りすれば、やがて梁(はり)が傷み、建物全体が朽ちていく。瓦1枚くらい、すぐに修繕できそうなものだが、そうはいかない。本堂の屋根の高さは10mを超えることはざらだし、塔になれば高さ数10mにもなる場合もある。足場を組むだけでも、相当な費用(数十万円から数百万円)がかさむ。

復興後の「新しい街」に寺や神社を置くことが困難なワケ

火災保険に入ればいいという人もいるかもしれないが、歴史的木造建造物などは掛け金が高額になり、多くの宗教法人が加入していないのが実情だ。大手教団の中には、建物共済を取り入れているところもあるが、それでも再建資金のわずかな足しにしかならない。

甚大災害が起きた時に、宗門は義援金を拠出することもある。前出の曹洞宗の全壊寺院については一律300万円(第一次配分)を給付している。だが、寺院が全壊すれば、復興は最低でも「億単位」となる。この助成金では「焼け石に水」であろう。

では、国や行政が宗教法人にたいして再建資金を拠出できるか、といえばなかなかハードルが高い。憲法で定める「政教分離の原則」が横たわっているからだ。復興政策において宗教施設や墓地は、公的支援の対象からは外れてしまっている。具体的には、伽藍(がらん)などの再建、移転のために公的資金が拠出できない、将来的な津波対策のための高台に宗教施設が移転できない、などである。

そのため、復興後の「新しい街」には寺や神社を置くことが、現実的には困難になっている現状がある。公民館や公園の再生はできるが、もともとあった寺院や神社は復興後、地域に戻ってこないのである。

宗教施設は学校や公民館などと同様の「社会資本」だ

寺院や神社は年中行事や法事、あるいはお祭りを地域ぐるみで実施する。そうした宗教行事を通じて、地域のコミュニティーは強化され、時に寄り添いの場になったり、災害時の避難所として機能したりする。高齢化、多死社会の到来にあって、寺院の檀家組織や神社の氏子組織をいかした「見守り」も効果的だろう。

地域の宗教施設は、学校や公民館などと同様の「ソーシャルキャピタル(社会資本)」なのだ。

行政は政教分離という原理原則論を主張する傾向にあるが、そのことで寺院や神社が衰退し、ひいては地域が疲弊していくというジレンマに陥っている。地域から宗教施設が失われれば、結果的には信教の自由も奪われる。国や行政には柔軟な対応を求めたいし、今後、政教分離の議論が広がっていくことを望む。

被災した神社を無償で建築して寄贈する大阪の会社

被災地における被災寺院の自力再建が厳しく、国や行政も手出しができない状況下、このほど、明るいニュースが飛び込んできた。福島県浪江町両竹地区にあった諏訪神社がこのほど、民間企業の力で再建されることになったのだ。

諏訪神社は平安時代に坂上田村麻呂が開いたとされる由緒ある神社だが、震災時には本殿は全壊、拝殿が半壊した。しかし、高台にあったために津波で流されることだけは免れた。震災直後は諏訪神社に約50人の住民が逃れた。住民は倒壊した神社の建材を燃やし、海水でぬれた体を温めあったという。諏訪神社は「地域住民の命を救った神社」なのだ。

その諏訪神社の復興に手を挙げたのが住宅メーカーの創建(大阪市中央区)だ。無償で諏訪大社を建築して寄贈するという。社会貢献と、建築技術を広く広めるという自社の利益の両立を目指した試みと言える。新生諏訪神社は今年秋にも竣工の見通し。同社の吉村孝文社長は記者会見で「今後1年に1棟のペースで被災した神社を無償で再建していきたい」と表明した。

私は吉村社長の英断に敬意を表するともに、同社に続く、企業が出てくることを期待している。

出所:鵜飼秀徳 復興後の”新しい街”に寺や神社がない理由
(2019年3月13日 プレジデントオンライン)
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