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お寺と神社の関係
〜改めて知る『お寺』と『神社』の違い〜
心のより所として日本人に古くから親しまれてきたお寺や神社。祈願や信仰のための宗教施設といった役割だけでなく、冠婚葬祭や初詣、お祭りなど一年を通して行事やイベントが行われ、日本の文化や歴史を知る観光名所として多くの方が訪れるなど、日本人にとってお寺や神社は身近な存在となっています。
そんなお寺と神社ですが、その違いは?と聞かれると、意外と答えに詰まってしまう人も多いのではないでしょうか。
そこで、今回は改めて『お寺』と『神社』の違いについて解説していきたいと思います。
違いその1 信仰の対象
お寺は、古来インドの仏陀(釈迦)を開祖とする【仏教】の宗教活動を行う施設です。様々な宗派がありますが、仏陀(釈迦)を教祖とし、仏様(如来・菩薩・観音・明王・天・開祖/高僧など)をそれぞれ崇拝しています。
また、お寺は『僧侶が住み仏教の教義を学び修行する場所』で、『寺』以外にも『寺院』『院』『庵』『大師』などの呼び方があります。
一方、神社は【神道】の宗教活動を行う場で、仏陀を唯一の教祖とするお寺とは違い複数の神様を信仰の対象とする『多神教』となっています。日本古来より海・山・森・木・石などのあらゆるものには神が宿るとされ、自然物のみならず特定の人物や物、土地などのさまざまな物を信仰対象とする『八百万の神』という文化が生まれました。このような八百万の神を信仰の対象とする宗教を【神道】と呼びます。
神社は日本各地において信仰されているそれぞれの神を祀っている場所であり、『神様の住む場所』とも考えられています。格式や規模の違いで『神社』『神宮』『宮』『大神宮』『大社』『社』の6種類がつけられます。
仏教と神道の違う点は、平たくいえば、仏教が『仏を教祖とし仏の教えを学ぶ』のに対し、神道には『教祖が存在せず、また教えもない』ということです。教えがないので、神教ではなく神道という言葉を使います。神道で読み上げられる『祝詞(のりと)』は教えを説くものではなく、神の言葉を伝えたり神に感謝したり願いを伝えたりするものです。
違いその2 聖職者
お寺で、お釈迦様の説いた教えを記録した経典(お経)を唱えたり修行をしたりする人を『僧侶(お坊さん)』といいます。僧侶は他にも、葬儀の場でお経をあげたり、寺や墓地の管理もしています。中でも、主に教えを説く僧侶を『和尚』、お寺に住み込んで働く僧侶を『住職』、女性の僧侶を『尼』と呼びます。
一方、神社で神に仕え歳事や社務、祈祷などを行う人を『神職(神主)』といい、その神社の責任者である神職を『宮司』と呼びます。また、神職の補助をし神事の際に神楽や舞を奉納する女性が『巫女』です。
違いその3 参拝方法
私達が普段、参拝の方法として何気なくしている【二拝二拍手一拝】は、神社での参拝方法です。手水舎で両手と口を清め、お賽銭を入れて二礼し、柏手(拍手)を二回、最後にもう一礼するのが基本です。
一方お寺の参拝方法は【合掌】です。手水舎で手口を清め、途中の常香炉などで心身を清めたら、お賽銭を入れ合掌し祈りをささげます。柏手はせず静かに手を合わせるのみとし、最後に一礼するのが良いでしょう。
またお寺は、基本的には仏様の姿を形に現した仏像の前で参拝を行いますが、神社にてお参りを行う場所は、多くは『拝殿』という参拝を行うための場所であり、その場合御神体はその奥の本殿に安置され、通常は見ることができない、という違いもあります。
違いその4 冠婚葬祭
お寺と神社の大きな違いとして、神社ではお葬式は行わない、という違いがあります。神道において『死』は『穢れ』であり、『不潔』や『不浄』を意味します。亡くなった人そのものを穢れとするのではなく、身近な人の死によって気力が枯れてしまう『気枯れ(けがれ)』のことを指します。
神社自体で葬儀は行われませんが、自宅や斎場にて行われる神式の葬儀を『神葬祭』といいます。神道では『人は亡くなると神々の世界へ帰り子孫を見守る』とされていて、神葬祭はその亡くなった人(神様)を家に留め守護神になってもらうという儀式です。
一方、仏式の葬儀では『人は亡くなると冥土へ行き、長い旅の末【輪廻転生】し新しい生命に生まれ変わる』とされていて、日本で行われる葬儀の約9割が仏式と言われています。
『ご冥福をお祈りします』という言葉も、仏式の考えから来るものです。
昔はお寺と神社の違いはなかった
今でこそ、お寺と神社では明確な違いがありますが、江戸時代まではそれぞれの要素が混じり合った混合宗教でした。
⇨コラム No.11 なぜ日本の神道と仏教は仲良しだったのか
お寺や神社に参拝や観光をしに行く時は、その違いを楽しみつつ、どこかで神仏が一緒だったという歴史を感じるのも良いかもしれません。