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京都限定の「厄除けちまき」のネット解禁を、京都人が歓迎するワケ
二度とこんなチャンスはないかも
出所:鵜飼秀徳 京都限定の「厄除けちまき」のネット解禁を、京都人が歓迎するワケ
(2020年7月16日 プレジデントオンライン)
祇園祭、五山の送り火……。京都で大規模な祭りが規模縮小や中止に追い込まれている。だが、「けがの功名」という面もある。京都在住のジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「平時であれば京都に赴き、祇園祭に参加して入手するしかない厄除けの『ちまき(粽)』が特別にネット販売されている。こんなチャンスは二度とないかもしれない」という——。
「コンチキチン」京都の祇園祭は事実上の中止だが、特別に……
いま、全国の神社では「茅ちの輪くぐり(夏越の祓)」の神事が実施されている。
茅の輪くぐりとは、鳥居などに茅かやで作られた大きな輪を設置し、そこをくぐって無病息災などを祈る儀式だ。上半期の厄を落とし、心身を新たにして下半期を迎える意味がある。
私も先日、京都市内の神社に赴いて、茅の輪くぐりをしてきた。コロナ禍だからこそ、こうした宗教儀式は尊いのだ。
このように、“祭りの街”京都では「小さい祭り」であれば、例年並みに実施されるケースがあるが、大規模な祭事は規模縮小か中止に追い込まれている。
本来ならばちょうど今頃は、「コンチキチン」の音色が涼しげな祇園祭の真っ最中のはず。ところが今年は山鉾やまほこの組み立ておよび巡行の断念など、事実上の中止に追い込まれている(関係者による神事のみ実施)。
京都でしか手に入らない厄除けの「ちまき(粽)」をネットで購入可
しかしながら、ネガティブなことだけではない。
祇園祭で授与される厄除けの「ちまき(粽)」(食べ物ではない)がインターネット経由で販売されるなど、新サービスが生まれている。祇園祭のちまきの語源は、冒頭述べた「茅の輪」の「茅」を、輪っかにせずに「巻いた」バージョンで、ご利益は同じである。「茅巻(ちま)き」は後世、食べ物の「粽」に語彙変化した。
現在、「長刀鉾」や「白楽天山」のちまきが1束1000円で通販されている(転売禁止)。平時であれば京都に赴き、祇園祭に参加して入手するしかない。なので、遠隔地にいながら厄除けちまきを手入れられるとあって、人気を博しているという。こんなチャンスは二度とないかもしれないので、求めたい人は公式サイト上からアクセスしてもらいたい。
厄除けちまきは京都人の多くが買い求め、1年間、玄関の上部に飾って疫病の退散などを願うのが習慣である。京都以外の全国で、この宗教習慣が広がって祇園祭の認知度が上がるのであれば、それはそれで悪いことではなさそうだ。祇園祭の詳細は4月25日の本コラム「京都人が『祇園祭だけは、やめるわけにはいきまへんやろ』と話す深いワケ」をご覧いただきたい。
毎年8月16日に実施「五山の送り火」も今年は大幅縮小だが……
祇園祭に続き、毎年8月16日に実施する「五山の送り火」も今年は原型をとどめないほど縮小する。今年は、なんと「点」にするという。
「送り火」は「迎え火」と対をなす。迎え火はお盆の入りの時期に、墓地の入り口などで火を灯し、死者の魂を迎える儀式。そして、送り火では、京都盆地の周囲にある5つの山に火を灯して、ご先祖さまにあの世に戻っていただくのだ。
器に入れた水に送り火の炎を映して飲めば、1年間、無病息災で過ごせるという言い伝えもある。そのため、京都人の多くが屋外に出て、送り火を拝む。送り火にあわせて帰省する人も少なくなく、山の見えるレストランやホテルでは観光客相手にさまざまなプランを打ち出す。
京都人の送り火に対する本気度はかなりなもので、ホテルやマンションの建設などで送り火が見えなくなった場合は大クレームが出る。その対策として、屋上を近隣の住民に開放して事なきを得る。京都市内で最も高層(高さ60メートル)の京都ホテルオークラなどでは毎年、「五山送り火の夕べ」のイベントが開催される。
昨年はおよそ2万8000人の人出があった。送り火を文字に造形して灯すと、眺望のよい場所にはどっと人が集まることだ。だからこそ、今年は苦肉の策として「点」にする。
本来、5つの山には「大文字」「左大文字」「妙・法(2つで1山)」「船形」「鳥居形」が灯される。地元の保存会が山に薪まきを上げ、何十という火床に一斉に着火する。つまり「点」の集合で文字を浮かび上がらせている。
「できる限り見学は控えて、自宅で手を合わせてほしい」
私の寺からは「鳥居形」が見えるが、燃え盛る炎は幻想的であり、迫力に満ちている。翌朝は山に登って燃え残りの炭を粉末にして服すると、持病が治るとの言い伝えがある。コロナ禍においては、むしろ実施してほしい儀式であったのだが……。
送り火の起源については平安時代に空海が始めたとも、室町時代に足利義政が考案したとも言われているが、定説はない。江戸時代には「一」「い」「蛇」「長刀」「竹の先に鈴」など計10の山で送り火が行われたという。「アフターコロナ」にはぜひとも、6山以上の送り火を期待したいところである。
送り火でもっとも有名な「大文字」の由来は仏教における万物を構成する五つの元素「空・風・火・水・地」を、五大(「空」を除いて四大、「識」を加えて六大とも)と定義。そこから「大」の字が取られたとする説や、そもそも「人」を象っており、そこから転じて「大」となったとの別説もある。
「大文字」は火床75カ所で浮き上がらせるが、今年は中心と頂点、端の6カ所のみに。ほかの文字は1カ所のみの点火となる。山の近隣だと、「点」が見えなくもないだろうが、保存会は「できる限り見学は控えて、自宅で手を合わせてほしい」と話している。
コロナ禍伝えるため宗教界と行政、大学連携で「祭り」を考案すべき
過去、送り火が中止になったケースはある。1972(明治5)年から1882(明治15)年まで、明治新政府の命令で送り火はご法度になっている。これは、国家仏教から国家神道への切り替えのため、それまで神仏習合していた仏教と神道とを切り分けよ、との法令「神仏分離令」による。
送り火の中の「鳥居型」があることで、送り火全体が神仏混淆であるとされた。本来仏教行事なのに、神社の象徴が灯されるからだ。鳥居型の送り火は近くの愛宕山の「一の鳥居」を模したとの説が有力だ。愛宕山は江戸時代まで神仏習合の修験道の聖地であったが、神仏分離によって純然たる神社となった。
また、戦時下の1943(昭和18)年から1945(昭和20)年までは夜間空襲を避けるため取りやめに。その後75年間、台風であろうと大雨であろうと、中止は一度もない。2000年大晦日には「ミレニアム」を祝って特別点灯されている。「点」のみの縮小開催は初めてだ。ある意味、稀有な機会であり、逆に人が集まるような気もしなくもない。
祇園祭に、送り火も。京都人のアイデンティティをつくる大切な宗教行事のほか、今年は京都全域の町内会で実施される「地蔵盆」も、中止を決めた自治会が多い。
その昔伝染病によって祇園祭が生まれたように、コロナ感染症が収束した後には、新たな祭りを京都で創出してもよいかもしれない。いや、このコロナ禍を伝えていくためにも、宗教界と行政、大学などが連携して、後世に残る「祭り」を考案していくべきだろう。それが京都人のアイデンティティを維持する方法ともなるはずだ。
出所:京都限定の「厄除けちまき」のネット解禁を、京都人が歓迎するワケ
(2020年7月16日 プレジデントオンライン)